mood.

好きなものを好きなように

2018年はKAT-TUNのもの。

よくわからない話を延々と続けてしまいそうなので初めに申しあげておきますが、今日の文章を総括すると、

 

KAT-TUNおかえり!!!!

 

という話です。

よろしくお願いします。

 

 

2017年の年末。

刻一刻と11時45分が近付いてくるなかで、私は本当に迷っていた。

ジャニーズカウントダウンを見るかどうか。

 

見てしまったら、絶対に「不在」を感じてしまうだろうから。

キラキラときらめき、爽やかな笑顔をふりまくジャニーズアイドルたちを見ながら、絶対に私は待ってしまう。ギラギラした光を。火薬の香りを。その場の全てを掌握してしまう、圧倒的なオーラを持った彼らを。

 

それでも、亀梨くんが出ることは分かっていたから、自分がそわそわと落ち着かない切ない気持ちになってしまうことはもう承知の上で、テレビの前に陣取った。

 

やっぱり切なくはなる。彼らを待ってしまう。それでも、何がどうあれジャニーズカウントダウンは楽しい。亀梨くんはKAT-TUNでいる時とは違う愛らしさがあって最高すぎるし、これはこれで良い年越しだな、とにこにこしながらテレビを見ていた。

 

そしたら、2018年になってすぐ、あっけないくらいの素早さで夢が叶ってしまった。「充電期間を経て」というアナウンスが聞こえた瞬間、体中が震えた。手汗が1リットルくらい出た。「え、待って!ちょっと待って!」と慌てふためく私を、彼らは全く待ってくれなかった。3人の姿が見えた瞬間から、もうあんまり記憶がない。

 

それでもあの瞬間、東京ドームの空気が一気に彼らのものになった。驚きとか喜びとか、そんな感情で気が狂いそうになりながら、それだけは分かった。私は彼らのそういうところが好きなんだよ~~~!!!!!あと火!!!!!火!!!!!!!

 

KAT-TUNは昔から特効の使い方が派手で、かつその魅せ方が上手い。

彼らは特効を完全に自分たちのためだけに使っている。演出を盛り上げようとか、視覚的効果とか、そういうことはほとんど彼らの頭にないんじゃないかとすら思うほど、あの特効越しに見る彼らの姿は異世界のものだ。炎の奥にゆらめき、水柱に囲まれて透き通っていくKAT-TUNの姿を、全人類1度は見ておくべきだと思う。

 

夢にまで見た彼らの再出発の狼煙を、私は現実に見てしまっているんだと半ば恐ろしいくらいの気持ちだった。

 

もしかしたら私は、この数年でKAT-TUNのことを少しだけ諦めてしまってたのかもしれなかった。彼らから知らされる大きなニュースは、ずっと私を打ちのめしてきたから。もちろん彼らのパフォーマンスがあったから、信じてここまできたけれど。

久しぶりに彼らがくれたものがあまりに嬉しくて尊くて、すごく懐かしい気持ちになった。私がKAT-TUNを命のように愛していた頃は、彼らのくれるものひとつひとつがなにより嬉しくて幸せで、毎回震えていた。あの頃の自分を少しずつ取り戻すような、そんな感覚になった。

 

こんなに嬉しいなら、こんなに幸せなら、今まで過ごしてきた色々な日々も涙も全て良かったと思える。

 

2018年、ここからKAT-TUNは天下を取れる。絶対だ。

KAT-TUNを好きで、本当に良かった。

アイドルに「アイドルは幻想だ」と言わせたくない

先日痛ましい事件が起こったのがきっかけなのかそうじゃないのか、「アイドルとファンの関係性」に着目した議論をよく目にする。

Twitterで女性アイドルの方が「アイドルをひとりの女の子として見ないで」「アイドルはただのアイドルでしかない」と発言して話題になっているのを見て、それはもちろん完全にまぎれもない正論だけれど、でも自分の好きなアイドルには言ってほしくないしなにより言わせたくないなと思った*1

 

私はアイドルヲタクだ。ジャニーズ事務所に所属しているKAT-TUNというアイドルグループが好きだ。亀梨くんが好きだ。

 

彼らとどうにかなりたいという気持ちは一切ない。私の愛し方はジャニヲタ界隈でいう、いわゆる「リア恋」ではない。尊敬し崇めているという言い方に近い。それでも彼らに「愛してるよ!」とか言われたら「キャー!」ってなるし、ちょっとこっち見られたら「目合っちゃった!」って言う*2

 

私は彼らを偶像として捉え、「私にとってのKAT-TUN」「私にとっての亀梨和也」を愛している。彼らに幻想を抱いて、その幻想を愛している。

 

もちろんその自覚はあるし、幻想は幻想でしかないということも重々承知している。それでももし、亀梨くんが「アイドルはアイドルだ」「ただの幻想だ」という発言をしたら、私はかなりショックを受けてしまうと思う。

 

なぜだろうか。答えは簡単で、私が「夢じゃない」という夢を見ているからだ。

 

好きなアイドルと例えひとときであっても自分と同じ空間を共有し、お互いに笑いあい、「好きだよ」と伝えあう。それを「夢じゃない」と思いたい気持ちがあるからだ。そして一度でも「それは夢なんだよ」と言われれば「ああそうだよね」と納得してしまう自信があるからだ。

 

幻想は幻想でしかないと分かっているけれど、完全に飲み込むことはしたくないのだと思う。これが私の、アイドルヲタクとしての弱点であり、また醍醐味でもある。そこを好きなアイドルには、亀梨くんたちには突いてほしくない。そこはお互いに理解したうえで、そして暗黙の了解のなかで過ごしていたい。

 

そのために必要なのは、やっぱりファンひとりひとりの自覚なのかなあと思う。プロのアイドルをもってして「アイドルは幻想だ」と言わせてしまうその状況を絶対に作りたくない。アイドルとして仕事を全うする、その選択を彼らに切り捨ててほしくない。だから、私はアイドルを傷つけたくないし、彼らの意思に反するような気持ちの押し付け方はしないようにせねばと思う。そして彼らにも、ファンとの距離感を凌駕できるような魅せ方を常にしていてほしいと願っている。「会いにいけるアイドル」よりも「圧倒してくれるアイドル」が私は好きだ。

 

 

日本の片隅に生きるジャニヲタの、自分に対する戒めとアイドルに対するちょっとしたわがままでした。おわり。

 

*1:でもあの発言をした彼女の意志はすごく一貫していて、それはそれで素敵だとは思う

*2:そしてそれは基本的に勘違いだ

アイドルを失った日の話

KAT-TUNを応援してもう14年目になる。KAT-TUNが6人から3人になった今、私は小学生から社会人になった。思春期、青春、10代。人生の中でも取り分けて語られることの多い重要な時代を、私はKAT-TUNと共に過ごしてきた。6人がいればそれで幸せだった。一生KAT-TUNを好きでいると思っていた。

 

この10年ほどでいろんなことがあったけれど、先日のライブで亀梨くんが「抜けた3人にもこの歩みを感謝したい」と言っていた。その言葉でなんとなく止まっていた時計の針が動き出したような気持ちになったので、そんな気持ちのいま、3人がいなくなってしまった時のことを記録しておこうかな、と思う。あれから数年、気持ちの整理をきちんとしてこなかったし、今文字におこせば少しだけ成仏されるような気がするので(完全に成仏することはきっと一生ないけど)。

 

KAT-TUNを追いかけてきた十数年間で一番デリケートな部分をピックアップしていくことになるし、読んでもらうことを念頭におく気はあまりありません。本当にこれは自分が自分のためだけに書く、ちょっとした気持ちのお葬式のようなものです。

 

私は今でも抜けていった3人が心から好きですし、6人も5人も4人も、どのKAT-TUNも大切です。あの6人のうち、ひとりにでもマイナス感情を持っている方、不快な思いをしたくない方はここでUターンしていただきますようお願いします。苦情は受け付けません・・

 

続きを読む