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好きなものを好きなように

アイドルを失った日の話

KAT-TUNを応援してもう14年目になる。KAT-TUNが6人から3人になった今、私は小学生から社会人になった。思春期、青春、10代。人生の中でも取り分けて語られることの多い重要な時代を、私はKAT-TUNと共に過ごしてきた。6人がいればそれで幸せだった。一生KAT-TUNを好きでいると思っていた。

 

この10年ほどでいろんなことがあったけれど、先日のライブで亀梨くんが「抜けた3人にもこの歩みを感謝したい」と言っていた。その言葉でなんとなく止まっていた時計の針が動き出したような気持ちになったので、そんな気持ちのいま、3人がいなくなってしまった時のことを記録しておこうかな、と思う。あれから数年、気持ちの整理をきちんとしてこなかったし、今文字におこせば少しだけ成仏されるような気がするので(完全に成仏することはきっと一生ないけど)。

 

KAT-TUNを追いかけてきた十数年間で一番デリケートな部分をピックアップしていくことになるし、読んでもらうことを念頭におく気はあまりありません。本当にこれは自分が自分のためだけに書く、ちょっとした気持ちのお葬式のようなものです。

 

私は今でも抜けていった3人が心から好きですし、6人も5人も4人も、どのKAT-TUNも大切です。あの6人のうち、ひとりにでもマイナス感情を持っている方、不快な思いをしたくない方はここでUターンしていただきますようお願いします。苦情は受け付けません・・

 

 

2010年7月のこと

大学1年生だった。私はその日バイトで、いつものように休憩に入り、いつものように携帯を開いた(あの頃はまだガラケーで、私はスライド式のやつを使ってた)。普段そんなにやりとりしない友人たちからメールが何通か入っていて、「珍しいな?」と思いながらメールボックスを開いて、そこで赤西くんの脱退を知った。

そこからはほとんど記憶がない。もちろん休憩後もバイトは続いて、仕事を流れ作業のようにこなしながら「なんで」「どうして」だけが頭の中をぐるぐるとまわっていた。たぶん様子がおかしかったんだろう、店長から「大丈夫?具合でも悪い?」と聞かれたことはなんとなく覚えているけど、なんて返したかは覚えていない。だって、赤西くんはつい最近もインタビューに対して「辞めない」って言ってたし、ジャニーさんだって。

 

ずっと6人でいると思っていた。確かに赤西くんに対して何度か「この人KAT-TUNに執着ないのかもしれない」と思ったこともあった。この結果を全く考えなかったわけではない。けれど、それでも、まさかそんなことは起こらないだろうと高をくくっていた。だって2006年の留学の時は帰ってきたから。復帰の時の照れくさそうな赤西くんを見て、心の底から嬉しかったから。今年は5人でツアーをしますと言われたときも、実際に会場で5人の姿を見たときも、それでも赤西くんは帰ってくるんだと信じ切っていたからほとんど寂しくなかった。なのにどうして。あんなにずっと好きだった6人と、赤西くんと、さよならも言えないまま終わってしまうのか。

 

その翌週末に私はKAT-TUNのライブへ参加した。記憶はあまり残っていない。聖くんが泣いていたような気がする。彼らのことよりも、座席でしゃがみこんで泣くファンの子たちや、始まる前の殺伐とした空気を妙に覚えている。

 

ライブから帰宅して、部屋でひとりベッドに入って。ほとんど寝付けずKAT-TUNを聴き始めた。『D-MOTION』。6人最後のシングルになってしまったこの曲。5人になって赤西くんのソロパートは歌詞が変えられていた。ipodからは以前のまま赤西くんのソロパートが流れていて、それを聴いた瞬間、爆発した。うそだ、うそだ、うそだ、と思いながら涙は止まらなくて、ひとりで暴れるように泣いた。

 

そこからしばらくの間、常に空気の薄い世界で生きているようだった。いつも息苦しくて、目の下に涙のかたまりができたように熱くて、いつ泣いてしまうかわからなかった。ファンではない友人たちからは「赤西抜けちゃったね~」とあいさつ代わりに話題を振られ、彼の世間イメージがあまり良くなかったこともあり「まあ辞めてくれてよかったんじゃない?」と言われることもしばしばだった。そのたびに「本当だよね~」「そうかも~」と笑って返していた。むきになれば絶対に泣いてしまう自信があったから、そうするしかなかった。そんな自分も心底いやで、家に帰ってからいつも泣いていた。

 

こんなにきつくて死にそうになりながら、それでも好きでいたい、ファンでいなればと思っていた。ファンを辞めるなんて1ミリも考えなかった。なぜだろう。5人の姿を既に見ていたからかもしれない。それでも一生KAT-TUNを好きでいると思っていた頃の自分が異様に遠く感じて、その気持ちをつなぎとめるのに必死だった。「ずっと好きでいる」ということがどんなに難しいかを知った時期でもあった。

 

亀梨くんはどう思っているのだろうと、あの頃何度も考えた。シンメを失った彼のことを。ライブでもテレビでも、彼はあまり変わらないように見えた。変わらないわけがないのに!だって失ったのはあの赤西仁だ。亀梨くんが憧れ慕って、はやく横に並びたいとがむしゃらに走っていたあの赤西仁だ。NYでは赤西くんと手をつないではしゃぎ、沖縄ではふたりでテントに寝泊まりし、ことあるごとに「仁はかっこいい」と語っていた亀梨くんを私は知っている。憧れ、そして共に戦い歩んできたたったひとりのシンメを、彼はあの日失った。亀梨くんがあの時どう思っていたかなんて今になってもわからない。誰も知らない。それでも何度だって考えずにはいられなかった。

 

時間だけが私の薬だった。この最悪な状態は少しずつ薄皮をはがすように軽減されていって、2012年のツアーでは、そこまでわだかまりなく「5人のKAT-TUNかっこいい」と思えるようになっていた。

 

 

2013年10月のこと

大学4年生だった。私は偶然亀梨担の友人とKAT-TUNとは関係ないアーティストのライブに行っていて、その帰り道だった。電車に乗りこみ、伝言板メールが届いていることに気付いた。

「あ、なんかKAT-TUNからメールだ」

「ドラマの宣伝とかかな?」

「あ~それかもたぶん」

なんて会話をしながらメールを開いた瞬間「ええっ?!」と声が出た(あまり人の少ない車内だったけど迷惑だったと思うごめんなさい)。私のただならぬ空気に友人も「なに?!」と言いながら自分でメールを開き、同じように絶句した。「田中聖の脱退について」という文言が並んでいた。

友人としばらく絶句して、どちらからともなく笑った。どうして笑ったのか分からないけど、たぶんもう感情の行き所がそこしかなかったんだろうと思う。ちょっと笑ったあと、友人は急に「最近のポケモンってさあ」と話し始めた。その友人とはその時点で10年の付き合いだったが、ポケモンの話をしたのはそれが初めてだった。お互いちょっと混乱してたのかもしれない。彼女とは、そのままひたすらポケモンの話をし続けて別れた。

 

電車を降りた後、ああ、またあの日々が始まるのか、と気が遠くなるようだった。聖くん。1年前のライブでは「一生KAT-TUNでいる」「だからお前らも一生ハイフンでいて」と甘い言葉をこれでもかというほど吐いていた聖くん。あの言葉にどれだけ、どれだけ救われたか分からない。ツアーの話が出てすぐ消えてしまったこと、ラジオに出なくなったこと、テレビに呼ばれなくなったこと。ああ何かあったんだろうなとは思っていた。干されてるんだろうなと。思ってはいたけど。まさか。

 

赤西くんの時と違うのは、怒りの感情があったことだ。去年散々甘いことばっかり言っておいて、結局身勝手な理由でKAT-TUNを同じ目に遭わせるのか。一度は彼自身だって傷ついたはずなのに、それをまた仲間に負わせるなんて気がしれなかった。馬鹿だ、本当に馬鹿だと思った。

 

それでも何日かして、その気持ちは少しだけ薄らいだ。10年以上聖くんを見ていたから。だから結果がどうであれ、あの時の彼は純粋に100%の気持ちで「一生KAT-TUNでいる」と言ってくれていたんだろうということはなんとなく想像がついた。聖くんがくれた言葉も、あの頃の私がそれに救われたことも事実には変わりがなかった。それならそれで良いと思えた。

 

そこまでに至って初めて、さて、と思った。KAT-TUNの特色でもあったラップが消えてしまった。ラップだけじゃない。ライブにおいて聖の盛り上げ方は最高に上手くて、あの乱暴とも言える煽りがあったから私はライブが大好きだったのだ。これを失って、KAT-TUNはそれでもまだKAT-TUNとして存在できるだろうか。

私の中の答えは、「否」だった。聖のライブでの貢献っぷりは他の追随を許さぬレベルだったから。あれがなければ、それまでのかっこいいパフォーマンスは失われてしまうだろう。赤西くんの時とはまた種類の違う絶望だった。確実にKAT-TUNの一時代が終わってしまった。もう、私の好きだったKAT-TUNは消えてしまったのだ。

 

赤西くんの時は「全然痛くないです」という顔をしていたけど、今回ばかりはそうもいかなくなっていた。あのとき変に強がってしまったせいで処理できなかった色んな感情がまとめて押し寄せてくるのを感じた。痛くないふりをして、見て見ぬふりして流してきたいろんなもの。それらを受け止めることだけでも精一杯で、自分の感情をコントロールするところまで労力がいかなかった。前回は意地でも人前で泣くもんかと思っていたけれど、そんなことをしたら今度こそ自分がつぶれてしまう。だから家だろうが外だろうが、迷惑にならない範囲で好きに泣いた。たかがアイドルのことでこんなに泣く娘を親はどう思うだろうか、と少し不安だったけれど、母は「ずーっと好きだったんだから泣いちゃうよね」と私が泣くたびに熱いお茶をいれてくれていた。

 

2年がたった今になって思う。聖もそうだったんだろうか。赤西くんの時に「痛くない」「何もなかった」というような顔をしていて、それが彼のなかで無意識に何かを蝕んでしまったんだろうか。彼は本当に正直だから、無意識に背負わされた重みに耐えられなくなってしまったんだろうか。今となっては何を考えても何を後悔しても意味のないことだけれど。考えてしまう。聖くん。

 

たしかその数日後だったような気がする、亀梨くんが「スッキリ!」に出演して、一連の騒動について謝罪しているのを見た。何度も何度も繰り返し見て、亀梨くんの一言一言を噛みしめるようにしてその日をすごした。そして単独でのカウントダウンライブが発表された。

 

ライブ。KAT-TUNらしさを失ったライブ。私は全く期待していなかった。ひとまず参加して、そこで事態を受け止められるかどうか。それ次第で自分のファンとしての行く末を決めよう。絶望したまま、そう思った。その後に発売されたミニアルバムは聴く気にもなれず、未開封のまま年末を迎えた。

 

2013年12月30日。大阪へ向かい、京セラドームで彼らを待つ。今回が最後になるかもしれない。彼らの出した曲を聴かずに参加するライブは初めてだった。一緒に行った友人も「これが最後かもね」と諦めたように笑っていた。

 

そんな状態で始まったライブは、なんというか簡単に言うと、「燃えた」。

 

燃えたのだ。KAT-TUNが。過去の曲をたくさん歌って、それから燃えて、不死鳥になって姿を現した。絶句した。こんなにかっこいい、ぎりぎりの状態の彼らを見るのは久しぶりだった。「キャー!」とかそんなんじゃない、声が出ない興奮を味わったのは初めてだった。この人たちは本気なのだ。本気で過去を清算して、今を輝かせるつもりだ。あの時の彼らには過去も未来もなかった。「今」だけだった。くだらない私の中のKAT-TUNの枠を軽く超えて、彼らは燃えて、蘇った。

 

ライブが終わった後、友人と「なんか・・すごかった・・」「KAT-TUNの本気なめてた・・」「見くびっててごめん・・・」とつぶやきながらホテルへ帰り、すぐにiphoneで「楔」を再生しはじめた。聴けなかったミニアルバムを、その時初めて聴いた。寝るまでひたすら聴き、そして翌日も昼ごろまでホテルで聴き込み、カウントダウンのライブへ向かったのだった。その日のライブももちろん凄まじかった。あの2日間で、KAT-TUNに対する気持ちが明らかに変わった。好きだということに変わりはないけれど、それ以上に「KAT-TUNというブランド」を信じようと思った。これだけ信じていれば大丈夫、信じて歩いて行こうと思った。この先もずっと。

 

 

2015年11月のこと

社会人2年目だった。ちょうどその年の5月、東京ドームで2日間だけライブがあった。私はそのライブにKAT-TUNファンではない友人を連れて行き、彼女はその2日間で見事にKAT-TUN沼へ落下した。身近な人が沼へ落ちるのを目の当たりにするのが初めてで、すごく楽しかったし嬉しかった。この子とこれからたくさんライブに行きたい、たくさんのかっこいいKAT-TUNを見てほしいと思っていた、その年の11月のことだった。

 

ベストアーティスト放送日。私は家のリビングでだらだらとKAT-TUNの出番を待っていた。「CMのあとはKAT-TUN登場!」とCM前のジングルが流れ、真っ赤な衣装のKAT-TUNが映った。4人とも異様なほど表情が硬く、嫌な予感がした。5月のライブ、終盤で泣いた田口くんの表情を思い出した。私はあの時会場で彼の泣き顔を見て、思わず横にいた友人に「あの子変なこと言い出さないよね・・」とつぶやいて、「んなわけないよね、ないない」と自分でそのざわついた感情を流した。あの時と同じざわつきを、4人の表情から感じた。やめて、やめて、気のせいであってくれ、と心の中で祈っているうちにCMが明けた。そして私の予感が見事なまでに、的中してしまった。

 

ああ、と頭を抱えた。田口くんが。あの田口くんが。うそだ。そんなことってない。混乱しているうちに、亀梨くんが映った。ぶるぶる震えながら、噛みしめるように言葉を発する亀梨くんを見て、ああこれはきっと夢なんだろうと思った。だって、これが現実ならあまりに酷だ。私のファンとしての悲しみなんて二の次で、亀梨くんと上田くんと中丸くんが。彼らの今までの歩みが。見えていたはずの未来が。悔しさや苦しさが。そんなことだけが何よりも重く感じた。

 

田口くんは2016年の3月末をもって事務所を退所するとのことだった。今までとは全く違う、不思議な期間だった。いつものように4人で、その中でにこにこしながら立っている田口くん。この光景があと数か月で失われてしまう。なんとも不健全な状態で笑っている彼らを、どんな心持ちで見ればいいのか分からなかった。それでもKAT-TUNに対して絶望することはもうなかった。何があってもKAT-TUNと共に生きて、死ぬ時は一緒に死んでやる。KAT-TUNが行く場所が私にとっての最良の場所だった。

 

KAT-TUNは、それまで続けてきたグループでの仕事をすべて終了させ、充電期間へ入ることになった。充電期間。事実上の活動休止だった。もちろん前向きな理由での決断ではあるんだろうけれど、グループとしての歩みを一度止めてしまうことには変わりない。でももう、それは仕方のないことだ。私自身、KAT-TUNに対して「疲れた」という気持ちがないわけではなかった。ファンがそうなら本人たちの疲労はそれをはるかに超えるものだろう。両方の翼を失い片腕をもがれた彼らは、もうこれ以上平気な顔はできない。それは当たり前のことで、むしろここまで走ってくれたことに感謝してもしきれなかった。タイミングが合わなければ、あの時カウントダウンライブで凄まじいまでの姿を見ていなければ、私はたぶんKAT-TUNと一緒に生きていくのをやめてしまっていたと思う。私が今KAT-TUNを心の底から信じられているのも、あの時彼らが歩みを止めずにいてくれたからだ。

 

3月に入ってからは、もうほとんど毎日泣いていた。思考の隙間に「田口くんがいなくなってしまう」ということが入りこんでくるのが辛くて仕方なかった。そして月末がどんどん近づいてくる。最後のレギュラー番組、最後のラジオ、最後の雑誌。そのたびに、さよならを言った。さよならを言いながら、どこかで信じられないような気持ちもまだあった。悲しくて何度も泣きながら、それでも嘘なんじゃないかと何度も思った。

 

3月25日。田口くん最後のテレビ出演はミュージックステーションだった。デビューする前から幾度となく出演しているMステ。そこが彼のラストステージだった。それまで散々泣いてきた私も、これはきちんと泣かずに見ようとかなり気合を入れてテレビの前に陣取った。

Real Faceを歌う4人を泣くまいとしながら必死に見た。最後のReal Face。田口くんの肩をぐっと引き寄せる上田くんに胸がつまりそうになりながら、手のひらを握りしめた。次に歌う『君のユメぼくのユメ』は3人での曲だったので、田口くんは今回だけ歌うのかな・・?と思っていたら、その後セットに続く道は3本しかなかった。田口くんの行く道はそこで途切れてしまった。ああそうか、田口くんはもうこの先へは行けない。嘘じゃない、彼は本当にいなくなってしまう。

 

上田くんが泣いているのを見た瞬間、必死でこらえていた涙が溢れた。メンバーがこんなにも胸を痛めているということを目の当たりにして、ただただ苦しくて悲しくてやるせなかった。いかないで。テレビの前で泣きながら願った。お願いだからいかないで。今さら脱退を撤回するなんて顰蹙だとかそんなことどうでもよかった。もうなんだっていいから、田口くんにいつまでもKAT-TUNでいてほしかった。KAT-TUN田口淳之介が、4人のKAT-TUNが永遠に続いてほしかった。それだけだった。

それでも終わりは来てしまう。オレンジ色の花束を抱えて笑う田口くん。去っていくものとして綺麗な態度だったと思う。あの笑顔を「冷徹だ」とか「ひどい」とか言う人もいたけれど、あそこで泣かれた方が困るのだ。泣くくらいならそのままでいてよ、と思ってしまう。もしかしたら田口くんの意とは別のところで脱退が決まってしまったのだろうかなんていう疑惑も生まれてしまうだろう。だからあの田口くんの笑顔は正しかった。いや正しかったという言い方は少し違う、けれど美しい辞め方だった。最後まで彼はアイドルとしての美しさを全うしていた。星は消えてしまう前により一層光るのだ、というどこかで聞いたような話を思い出した。アイドルとしての田口くんは、その日で私の前から姿を消した。そしてKAT-TUNも3日間の東京ドーム公演を終え、5月2日から充電期間へ入った。

 

 

総括

こうやって当時の記憶を掘り返すのは初めてのことだったけれど、意外といろいろ覚えているものなんだなと思った。この数年間でKAT-TUNやそれをとりまく色々なものに、たくさんのさよならを言ってきたのだということも。

 

私は今でも赤西くんが好きだし、聖くんが好きだし、田口くんが好きだ。大好きだ。未だに許せていないこともあるけれど、それでも大好きな気持ちに変わりはない。去年JIP'sに入り、KAT-TUNではない赤西くんを初めて見にいった。のびのび歌う彼の姿を見て「あの時の選択は正しかったのかもしれない」と、赤西くんの脱退から5年を経て初めてそう思えた。聖くんや田口くんもそうであってほしい。「あの頃KAT-TUNだったな」と懐かしく思いながら、幸せな道を進んで行ってほしいと本当に心の底から、切に祈っている。

 

 

KAT-TUNファンとしてのこれからのこと

赤西くんが去って、6人のKAT-TUNを失った。聖くんが去って5人のKAT-TUNを、田口くんが去って4人のKAT-TUNを失った。6人を好きだった自分、5人を好きだった自分、4人を好きだった自分。振り返るといつだってそこにいて、KAT-TUNと一緒に手を振っているのが見える。何年たってもそこから動くことはない。永遠に同じ場所にとどまり続ける。

そう思っていた。6人の時計は2010年の夏に止まってしまったまま、これからが続くのだと。過去はずっと遠ざかるばかりなのだと。

それが、先日の亀梨くんの言葉で一気に時計の針が動き出した。ファンもみんなあの言葉をきっかけに「あの6人が好きだった」「あの仁亀が」「あのでんでんが」「あのうえたぐが」「あのたなかまるが」と堰を切ったようにしゃべりだした印象がある。あの日泣きながら置いてきたものを、みんな懐かしそうに拾い集めてお互いに共有しあう。充電期間に入ってから一気にそういう時間が増えた。あの時亀梨くんがきちんと言葉にしてくれなければ見れなかった景色だと思う。

 

仁亀のために生きていた時代があった。中西を愛していた時代があった。でんでんが、2Jが、うえたぐが大好きだった。うるさい組も、年上組も好きだった。ひとつひとつが私にとっての奇跡だった。そんな奇跡の6人と同じ時代を生きられたことを心から誇りに思う。私は今でもあの6人の男の子たちを心底愛しているし、そしてほんの少しだけ恨んでもいる。きっとこれからもそうやって、KAT-TUNファンとして生きていく。

 

仁くん、聖、じゅんの。

たくさんの夢をありがとう。たくさんのきらめきをありがとう。あの頃の光を私はこれからも大切に抱えながら、KAT-TUNという船に乗って生きていきます。遠くから、3人のしあわせを何よりも祈っています。

 

亀ちゃん、たっちゃん、ゆっち。

この先も一緒にKAT-TUNという船上で未来を分かち合えれば、それ以上のことはありません。3人がこの船を好きなように動かすことが出来る日を心待ちにしています。KAT-TUNのために、戦ってくれてありがとう。そしてこれからも、どうぞよろしく。

 

過去現在未来すべてのKAT-TUNに愛をこめて。